――とにかく、あそこに行かなくてはいけない!

自分の中で抑えられない何かがそう語る。このところ激しい頭痛と眩暈に襲われることが、度重なっていた。理由はわかっている。その何かのせいなのだ。
私とは違う意志が、私の意識の中で、強く訴えている。どうやら他人の意志が私の中に住み着いてしまったみたいなのだ。しかし一体、誰の意志なのだろう。

 ――会わなければならない人がいる!

意志は執拗に私に迫り、焦らせるのだが、当の私はどうすることもできない。会うとは一体、誰に会わなければならないというのだろう。

やがて頭が激しい痛みを伴い始める。眩暈が起こり、私は意識を失ってしまう。
いつもはそこで終わるはずだった。しかし、そのときは違っていた。薄れ行く意識の中で、また違う誰かの声がきこえてきたのだ。

『約束しましょう。またここで必ずお会いしましょう』

男の人の声だった。しかし、ただの男の人の声じゃない。懐かしい大切な男の人の声だった。

『…だから、生き延びてください』

その最後の一言に強い汐のにおいを感じた。情景が少しずつはっきりしてくる。

そこにあるのは、波のざわめきと青さをたたえた海だ。私たちはそれを見渡せる岸壁に立っている。

『わかりました。生き延びて必ずここでお会いします』

涙を含んではいるが、しっかりした女の人の声。これは私…?それとも私に住み着く誰かの声?私―いや、彼女の言葉に男の人は、ほっとしたようだった。その目元は優しい笑みをかたちづくっていた。

私は知っている。

彼女は彼のこの目が好きだった。好きで好きでたまらなくて、本当は手放したくなどなかったのだ。彼女はきっと約束を果たせなかったのだろう。だから、私に助けを求めにきたのかもしれない。

意識が戻るとすぐに、私はその海を目指した。

気がついたら勝手に足が動いていたのだ。普段の私だったら、考えられない行動だった。
私は常に自分のために生きてきたのだから。しかし今、知らない誰かのために、きっとこの世にいないであろう誰かのために、かりたてられている。自分でも理解ができなかった。

計画性もなく行動に移してしまったせいか、その海に辿り着いたのは、すっかり日が傾き始めた頃だった。海を見下ろせた岸壁は、今では古びた灯台がひっそりと建っていた。さすがに高台にあるためか、風が強かった。汐の混じった風が、ずさんに私の髪をかきあげる。
灯台の中に入ると、私以外の客は他に誰もいないようだった。ただ管理人らしいおじいさんが一人、入り口で座って本を読んでいるだけだ。彼は私に気づくと、読みかけの本を閉じ、嬉しそうに目を細め、

「―どうぞ、ごゆっくり」

と微笑んだ。自分の足音を確認するかのように階段を上り、展望室に向かった。

着いたそこは、やはり人気はなく、閑散とした空気に満ちていた。私はガラス越しに見える海を眺めやった。目の前に広がるのは、夕日に染まるオレンジ色の哀しげな海。

「着いたよ」

私の言葉に彼女は何の反応も示さなかった。ただ私と一緒に静かな気持ちで海の彼方を見つめていた。もしかしたら、彼と一緒に過ごした日々をもう一度思い描いているのかもしれなかった。

時は流れすぎていた。

今日という日も、あの夕日が姿を消せば、夜というただの無償な闇をもたらす。間もなくここは、全てを終えてしまった淋しい果てとなる。私は彼女の気がすむまで、ここにいることにした。それしか、私にはできなかったから。夕日はやがて海の中へとろけるように消えていった。展望室の蛍光灯がつき、その光りが弱々しく私たちを照らしていた。

「申し訳ありませんが、そろそろ閉館になります」

いつの間にか管理人のおじいさんが、私の後ろに立っていた。少し腰が曲がってはいるが、白くて長い立派な髭や身のこなしが彼の品の良さをうかがわせた。

「すみません」

私は頭を下げて、立ち去ろうとした。すると彼は私を引きとめ、こう言った。

「本当はいたいだけいて下さって構わないんですよ。ただあなたはどこか哀しそうだったので、気になって声をかけてしまってね」

どうやら彼女と一緒に私は、自分の顔を思い詰めたものにしていたらしい。何をそこまでと、つい可笑しくなって笑ってしまった。すると、おじいさんは不思議そうに私を眺めている。その顔を見ていたら、ふと話してみようか、という気持ちになった。

「遠い昔、ここで再会を約束した人がいたんです」

彼は優しく私を見つめていた。

「結局、私が約束を果たせなかったんですけど…」
「―私もですよ」

私の後を引き継ぐかのように、おじいさんは続けた。

「私も遠い昔、ここで再会を約束したんですよ。戦争で死別した恋人とね」

私は彼を見つめた。

「兵として戦地に赴かなければならない前日に、私は彼女に言いました。生き延びて必ずここで会おう、と。彼女も頷き、約束すると言ってくれました。しかし、戦争が終わり、私が戻ってきたときには、彼女はもうこの世にいなかった。空襲に巻き込まれ、亡くなったと訊きました」

おじいさんは淋しそうに微笑んだ。その目元の優しいかたちに見覚えがあった。

「…会いたかったの。ずっとずっと、あなたに会いたくてたまらなかった」

私ではない彼女の声が今、私の体を使って話し始めていた。

「でも、そうできなくなってしまいました。私の体はもうなくなってしまったから」

彼は戸惑いを隠せない表情で、私を見つめていた。

「…君は一体?君は…彼女、なのかい?」

私―彼女は―頷いた。

「…まさか…こんなことが」

彼はそれ以上、言葉を続けられなかった。大きく見開いた目には、いつしか涙がにじんでいた。そして、おそるおそる自分の手を伸ばし、私の手に触れた。

それは、とてもとても熱い手だった。
泣きたくなってしまうくらい熱い手をしていた。

そのとき、私は彼を真剣に愛していたのだと改めて知った。その思いが、私の体の隅々まで、かけめぐる。

「会えてよかった」

その声を合図に、すうっと体から、彼女の意志が消え去っていくのがわかった。私の役目は終わったのだ。

「…行ってしまったんだね」

おじいさんが私の手を静かに離した。涙はすでに渇き、調子を取り戻しているようだった。

「あなたには迷惑をかけましたね。でも、ありがとう。生きているうちに、ここで会うことができて嬉しかった」

それは満ち足りた幸福な笑顔だった。

「丁度あなたぐらいの年だったんですよ。私たちが約束をし、別れたのは」

だから、彼女は私の中に現れたのだろうか…?

「あの時代はね、皆が何をするにしても、全てが命がけだった。生きることも。人を愛することも」

そう言われてやっと腑に落ちたような気がした。私がなぜここまで来たのか。

「私はまだ命がけで誰かを愛したことなんてない…」

だから、強く思い続けていた彼女に惹かれ、ここまでやって来たのだ。いや、それだけではないのだろう。彼女が私の中に来たのも、彼女が私の元に押しかけてきたのではなく、欠けている私が、彼女を呼び寄せてしまったのではないか…?

私は自分のためだけに生きてしまってきたから。傷つくことをずっと避けてきたから。
忘れられない恋愛も、真剣な思いも、熱い手も、私には何もなかった。自分がいる―ただ、それだけだったから。

「まだ、あなたは若い。これからきっと必ずあるはずですよ」

おじいさんの言葉が胸にしみた。私もそう信じたかった。

「…だから、必死に生きてください。ここで約束しましょう」

彼の言葉に思わず笑ってしまった。おじいさんも安心したように微笑んだ。
その目元はあの優しい笑みをかたちづくっている。私もいつかそれを自ら見つけ、愛することができることを願う。

 彼に別れを告げて、私は灯台を後にした。

外はただ真っ暗な夜が広がっていた。その中で凛とした輝きを放つもの―幾千もの小さな星を私は見つめた。そうだ。今日は七月七日。…七夕だった。

 そしてその時、始めて気がついた。
夜の中で星々は、決して彷徨っているわけではない。力強く導くものなのだ。

 確かな一つの星が夜空を走る。
私はそれを見届けると、深呼吸をして、笑顔で自分の家を目指して歩き始めた。


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=影響を受けた作品のご紹介=
ここでは上の拙い物語がたぶん影響を受けたんじゃないかと思われる作品をご紹介します。
お時間や興味のある方はどうぞ~。

★ある女優さんの言葉 × 恩田陸「イサオ・オサリヴァンを探して」★

「織姫と彦星 」は確か20歳くらいに書いたような…。

① ある女優さんの言葉
ある女優さん(名前は忘れました…)の人生を振りかえるという特集番組が小さい頃にやっていて、戦争時代の話になり、司会者が「あの時代はやはり思い出すのも辛いですよね?」と女優さんにきかれたんです。でも、女優さんは「あの時代は戦争で大変だったけど、いい時代でしたよ」と話されていて。司会者も(私も)驚いていると、彼女はにっこりとして「あの時代はみんな必死に生きていたから」と続けられたんです。今まで戦争時代のお話をきくと、みんな涙ぐんだり、口を噤んだりしてる人が多かったから、私には大きな衝撃でした。(戦争を美化していたり、決して肯定しているわけではありません)「あなたは今、必死に生きてる?」って逆に問いかけられたような…。たぶんそれがずっと忘れられなくて、こういう物語が生まれてきたんじゃないかと。…女優さんの名前を覚えてないのが残念です。

② 恩田陸「イサオ・オサリヴァンを探して」(「図書室の海」に収録)
http://www.amazon.co.jp/dp/4101234167
文章の感じから、たぶん恩田陸さんにハマっていた時に書いたような気がする…。彼女の短編集で一番好きなのは「図書室の海」。その中でも、忘れられないのが、この「イサオ・オサリヴァンを探して」。ある戦争時代を生きたイサオ・オサリヴァンという恐ろしい謎の人物を主人公が追いかけていくという話なんですけど、とにかく暗くてこわい。ホラー的な怖さだけでなく、人間の心の闇に触れていく感じの怖さが凄くて、鳥肌が立った記憶があります…。続編が出るという話もあったようですが、どうなんでしょうか。続編と言えば、私が恩田さんでずっと続編を待っている別作品がありまして。「理瀬シリーズ」と呼ばれているものなんですけど、黎二が実は生きているのかずっーと気になっています。恩田さん、早く書いてくれないかなあ。校長先生とか好きだったのに…キャラが濃くて。

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コメント

宝探しのような旅でしたね。
会えて良かった。

実は待っていてくれたのかも?
どんだけ待っていたのでしょうかね。
そんな時間を思い描くと果てしない・・・

今、頑張って生きてまーす^^
けい│URL│09/03 17:24│編集
Re: タイトルなし
>けいさん

いつも本当にありがとうございます!

> 今、頑張って生きてまーす^^

よかったよかった。その言葉が何よりです!
けいさんのが笑える毎日であるよう祈ってますよ~^^
rurubu1001│URL│09/04 02:39│編集
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