良ければ、先にこちらをどうぞ。
【目次】 『或るアプレ記者の回想(仮)』シリーズ 【作品紹介】
http://short2story.blog.fc2.com/blog-entry-314.html
=====================================

『 …私には美は遅く来る。人よりも遅く、人が美を官能とを同時に見出すところよりも、はるかに後から来る。 …私は初秋の宿直(とのい)の、台風の夜を思い出した。たとえ月に照らされていても、夜の金閣の内部には、あの蔀(しとみ)の内側、板唐戸(いたからど)の内側、剥げた金箔捺(きんぱくお)しの天井の下には、重い豪奢な闇が澱んでいた。それは当然だった。何故なら金閣そのものが、丹念に構築され造形された虚無に他ならなかったから…。 』

    *

昭和二五年、七月。

「就職難だなあ」

当時大学三回生だった私は卒業後の働き口を求め、就職活動という厳しい現実の前に肩を落としていた。せっかく京都大学(旧制)に入学することができたのに就職先が決まっていなかったのだ。

「京大に入学した頃は戦争も終わって、俺のこれからは明るく開けると思ってたのに…このざまはなんだ!」

誰もいない部室に情けない自分の声が響く。机に顔を突っ伏した。

「わかってるさ。大手新聞社ばかりにこだわってるのがいけないことくらい…」

京大の新聞部に所属していた私は、すんなり大手新聞社に就職できると思っていた。しかし、考えが甘かった。昭和二〇年代の日本は戦後混乱期。GHQの占領下、国民意識も大変革が行われ、大手新聞社はその余波をもろにくらった。GHQもやることは戦時中の日本政府と変わらないのかもしれない。言論統制、情報(報道)規制、それでもあきたらず、紙の流通を操作し、新聞の発行自体を縮小させた。おかげで大手新聞社は経営難。新たな人員確保の余裕はなく、就職先は狭き門となっていた。

「…GHQ(おかみ)のくせに…えげつないんだよ、やることが!」

雑誌などまだこの時代にはあまりなかったから、新聞というのは国民の貴重な情報源で、人々の考えを大きく左右した。だから、それを抑え込もうとする動きもわからなくはない。新聞が「右にならえ」と言ったら、みんな右を向くと言っても過言ではなかった。実際、戦時中がそうだった。

「だから、うちの新聞社に来ればいいと言ったのに…」

人の声がして驚いて顔を上げると、部室の入口に見知った人の姿があった。

「なんだ。フクダさんか…」

彼はいつもの笑顔を私に向けた。

「そうです。『なんだ。フクダさん』ですよ」

私は子供のように、頬を膨らませた。

「…俺をからかいに来たんですか?笑いに来たんですか?」

笑うとフクダさんには、大きなえくぼができる。人のよさが外見からも見て取れた。

「京大の取材をしにきたんですよ。僕は新聞記者ですから。まあ、ついでにヨシダくんの勧誘もしに来たんですけどね」
「うわー。中小規模の新聞社さんは、さすが言うことが違うなあ。『ついでに勧誘』とか俺、感動して泣きそうですよ!」

皮肉めいたやりとりも、フクダさんには痛快のようだ。気持ちよく笑ってくれるから、私もいつの間にか声を出して笑っていた。それを見て、フクダさんは私の肩をたたいた。

「昼飯はまだでしょう?一緒に食べませんか?」

大手新聞社が規制されたからと言って新聞は息絶えなかった。古株の大手が無理なら、ここぞとばかりと新参者が成り上がる。昭和二〇年代、新しい新聞社が続々とでき、名乗りを上げてきた。GHQも大手を抑えるのに躍起になっていたから、逆に牽制する価値をそれらに見出し、新参者を手厚く歓迎した。フクダさんの新聞社もその一つだった。

当時の京大には現在の記者クラブのような新聞記者が駐在できる部屋があった。フクダさんは新聞社で大学と宗教(寺回り)を担当していから京大によく訪れた。他の駐在記者が野武士のような強面(こわもて)が多い中、見た目が柔和で温厚なフクダさんは学生たちに好かれていた。しかもかなりの博学で、知らないことなど何もないときている。生き字引とはこういう人かと思ったほどだ。フクダさんに言わせれば「職業柄でしょう」とのことだった。大学に行けば教授、寺社に行けば宮司や住職。その道の権威と会い、付き合って行かねばならないのだから、と。

「僕の時も就職難でしたねえ」

フクダさんは私を高級割烹に連れて行ってくれた。てっきり彼の好物であるカレーかと思っていたから、少し驚いた。一学生風情が高級割烹とは恐れ多かったが、私を元気づけようとするフクダさんの心遣いだったのかもしれない。新聞記者になれば、こういうところにも来れるぞ、頑張れ!という激励の意味もあったと思う。フクダさんは私より確か四つ上。四年もすれば、自分もこうなれるものだろうか。私はうまく想像できなかった。

「復員してきたものの、故郷は一面焼け野原でね。途方に暮れたものですよ」

終戦後の過酷さを微塵も感じさせない口調で話す彼はとても不思議な人に見えた。しかし、数秒後その理由がわかった。

「明日の食料のため、仕事を見つけなければいけません。就職活動をするのにボロボロの靴ではいけない。ましな靴を求め、闇市に行きました。そこで新聞記者募集のチラシを見つけたんです。ぼんやりそれを眺めていると、『お前も職探しか?俺もだ!一緒にここで働くぞ!』と初対面の男に声をかけられました。彼に連れられるように、その新聞社に行ったんです。でも、そこは経験者希望とのことでした。これは無理だなとあきらめていたら『俺たちは経験者だ!』と一緒に来た男が言うじゃないですか。それで即採用ですよ。僕は慌てて男に自分は経験者ではないことを告げました。すると、男は『実は俺もだ!新聞を作った経験はないが、読んだ経験ならあるぞ。物は言い様、考え様だ!』と悪気もなく言ってのける。なんてやつだ!と思いましたね。結局、その豪快さに圧倒されるかたちで僕も一緒にそこで働くことになったんですよ。それがオオタケでした」
「え?オオタケさんって…あのオオタケさんですか!?」

フクダさんとは「同期入社の腐れ縁だ!」と言って、京大にもよく顔を出す。日に焼けた肌をした体格のいい人物だ。気性の荒い性格で、色白で穏やかなフクダさんとはまるで対称的だった。

「そうです。『あのオオタケさん!?』ですよ。ちなみに、ここはあいつのおごりなんです。気に入られてますね、ヨシダ君」
「…はあ。そうなんですか…?俺があの人に気に入られる要素なんて、全然思いつきませんけど。というか、俺たち気が合わないような…?」

それを聞いて、フクダさんは面白そうに笑った。

「きっと君のそういうところを気に入ってるんでしょう。根っからのアプレ記者資質ありってね」
「アプレ記者のアプレって、仏語のアプレゲールの略ですよね。日本じゃ、どっちかというと蔑称というか、若者を揶揄した言葉じゃありません?」
「僕やオオタケはアプレ記者というものをそんなに悪い意味にとってないんですよ。僕らはサラリーマン記者になってしまったから、そう思えるのかもしれないですがね。だからこそ、君に期待しているのかもしれません」

素直に喜べないのは、たぶんフクダさんたちが少し苦手だったからだろう。この人たちとは、懐の深さや器の大きさが違う。人間的にも能力的にも、自分はかなわないと思ってしまう。

「あ、これはさっき言った『ついでに勧誘』のところですよ」
「…かいかぶりですよ」

笑うフクダさんから逃げるように、目の前にある艶めいた白飯を口にかきこんだ。きっと彼らには私の葛藤などわからないだろう。私が大手新聞社にこだわっていた理由が、実はこの人たちのせいなのだということも…。案の定、私の思いなどなんのその、フクダさんは思わず本音をもらした。

「高級割烹もいいですが、僕はやはりカレーですかねえ」

この人には一生私の思いなどわかってもらいたくない、そう思った。


=====================================
引用文献(冒頭)
・三島由紀夫『金閣寺』 
=====================================

お待たせしました。今年初めて書く物語をようやくUP。(続編モノになってしまい、すみません)二か月ほど何も書いてなかったから、また書けるか少し不安でした。声が鈍ってないことを祈りつつ。アプレゲール世代の彼らの話を半分フィクション感覚でお楽しみ頂けると嬉しいです。

内容のネタバレの可能性があるかもしれないので影響を受けた作品の詳しい紹介はラストに。同じ理由から、コメント欄も閉じさせて頂きました。申し訳ありません。1話で全ておさえたかったんですけど、やっぱり長くなりそうなので。さあ、頑張って続きを書かねば!あ、これくらいは紹介できるかな。

★ サカナクション『Ame(A)』
聞いてた音楽です。これの5:30~かな。レトロでいい感じ。
http://nicotter.net/watch/sm25588330

【第177夜】 或るアプレ記者の回想②
http://short2story.blog.fc2.com/blog-entry-208.html

□ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □  ■ □ ■ □

以下のランキングに参加中です。

■ NEWVEL ランキング
http://www.newvel.jp/nt/nt.cgi?links=2014-03-1-35262

■ アルファポリス ランキング


■ 人気ブログ ランキング

人気ブログランキングへ

■ にほんブログ村 ランキング
にほんブログ村 小説ブログへ
にほんブログ村

スポンサーサイト