ああ。

音が、消えた。

    *

「ジン先生、いるー?」

玄関の引き戸が開けられる。

「いないのー?」

俺の「いらっしゃい」の言葉を待つこともなく、今日も彼女は勝手に靴を脱ぎ、我が家にあがってきた。

「あ・た・し・でーす!」

廊下を高校指定のハイソックスで楽しそうに滑り、居間でくつろいでいた俺を発見した彼女は、嬉しそうに軽やかに跳ねた。制服のチェックのスカートが揺れる。

「なんだー、いるじゃん!」
「俺んちだからな」
「ジン先生、一人暮らしでさびしいでしょう?パジャマでおじゃまー!」
「もしかして、『おじゃまします』っていいたいのか?言ってる言葉がおかしいぞ、女子高生!?(ちなみにパジャマ姿は俺なんだけど)」

彼女はむっとした。

「女子高生じゃなくて、サキです!ノカゼ サキ。いい加減、名前を憶えてよ!」

俺は笑った。

「覚えてるよ、女子高生だろ?そのへんの」
「覚えてなーい!」

彼女は後ろから飛びついて、自分の細腕を俺の首に絡めた。彼女が外から連れてきたのだろう。一緒に春の香りがした。

「しかもモブ扱いだしー!」

グッとその腕に力がこもる。しまった、これは全く色気なしの絞め技か!

「女子高生!セクハラ、やめてー!」

俺は叫んだ。

「何よー。ここは喜ぶところでしょう?女子高生と触れ合ってるのに。言ってる言葉がおかしいぞ、スランプ作曲家!」

今度は俺がむっとした。

「スランプとかいうなよ、人が気にしていることを…」

彼女は笑った。

「だってジン先生、あたしの名前、全然覚えてくれないじゃん。仕返しだよ。なんかもう、だめだね。スランプこじらせすぎて、かわいくないよね?」
「…だめとかいうな。しかも三十路手前のおじさんに、かわいさを求めるなよ!」
「あらあら。ふくれちゃって。いきなりかわいくなったね、ジン先生」

俺はあきれた。

「…そうか。わかった。言ってる言葉がおかしいんじゃないな。おかしいのは、お前の頭だ!」

それを聞いたサキはさらに腕に力を込めた。本当は苦しくなんてなかったが、そこは大人。苦しんでいるふりをする。「ギブギブ!」と彼女の腕をたたいた。満足したサキは俺からゆっくりと離れていった。春の香りも一緒に消えていく。それが名残惜しいと思うのは気のせいだろうか。気の迷いだろうか。そのあたりは深く考えないようにする。

「さあ、はじめよう!」

目の前で、彼女の笑顔が咲いた。いつものように場を仕切られ、いったいどっちが先生なのかわからない。俺はため息をついた。また今日も俺たちの『レッスン』が始まろうとしていた。

    *

かつて。

偉大な作曲家がいました。かく曲、かく曲、ヒットに恵まれ、音楽にも、人にも、愛された作曲家が。

数多くのアーティストから依頼が殺到、街中で彼の音楽を聞かない日はありません。子供からお年寄りまで、彼の音楽を口ずさんでいました。

でも、いつしかそれはだんだんと偉大な作曲家を苦しめていきます。

世間の評価とプレッシャーに押しつぶされそうになり、徐々に彼の心は疲弊していきました。豊かだった才能もかげりが見え始めます。偉大な作曲家は彼にとって一番大切な『音』を、『音楽』を、見失ってしまったのです。

    *

「伴奏なんて、どうしてひきうけちゃったんだろう…」

女子高生のサキはグランドピアノの譜面台をにらんでいた。そこには彼女が卒業式でひく予定の『遠い日の歌』の楽譜があった。

「ジン先生、私の代わりに卒業式でひいてよ」
「嫌だよ」
「どうせ暇でしょう?」
「暇とかいうなよ。本当のことだから傷つくだろ?」

そう言って俺は肩を落とした。それを見てサキは楽しそうに笑った。

「自分で言って傷ついてどうするの?」

俺はやれやれと楽譜を指差す。

「ほら、笑って気分転換になっただろう?じゃあ、続きはじめるぞ」

サキは鍵盤に指をのせたが、すぐ膝の上に下ろした。

「どうした?」
「…ジン先生は優しいよね」
「え?」
「優しいから、ピアノの先生もひきうけてくれたんでしょう?」

サキはある日、突然俺んちにやって来た。東京でスランプに陥っていた俺は、亡き祖母の残した古民家のある田舎に逃げてきたばかりだった。それをどこでどう聞き間違えたのか、彼女は有名なピアノの先生が近所に越してきたらしいとの噂を耳にし、うちにやって来たのだ。

「別に優しくなんかないさ。俺がいま人の期待にこたえられないから、たぶんお前にもそうなってもらいたくなかっただけだ」
「…ほら、優しいじゃん。本当はピアノから離れたかったんじゃないの?でも、私が来てそうできなくなっちゃってさ。ごめんね」

俯いたサキの頭を撫でてやる。

「俺はいいリハビリになってるから気にするな。っていうかお前は自分の価値をわかっていないな。女子高生は最強なんだぞ。困ってたら、たいていの人間(男)は助けるさ」
「…先生ってカッコいいの?悪いの?どっちなの?よくわかんない。でも…」

彼女は顔を上げ、手招くと、俺の耳元でそっと囁いた。

「いい人ね!」

それを聞いた俺は腹を抱えて笑ってしまった。さすが女子高生!もしかしたら、そのセリフだけでたいていの男を半泣きにできるぞ!

  *

かつて。

偉大な作曲家がいました。彼は自分の中で容易にその『音』にふれることができました。

手を伸ばした先には『音楽』というものが存在していたのです。彼はただ『音』にふれて『音楽』をきいただけでした。それが彼にとって『普通』のことで、『音楽』を『生み出す』つもりなんてなかったのです。でも、彼の『音楽』をきいた人々はそれを『普通』とは思わず、彼の特別な力だと思いました。そう言って、彼の『生み出す音楽』に勝手に酔いしれていったのです。

偉大な作曲家は、自分が人と違うことに気付き、ショックを受けました。彼にとって『普通』のことは、人々にとって決してそうではなかったのです。それがだんだんと彼を苦しめていきます。人と違うことに悩み疲れ、徐々に彼の心は疲弊していきました。そしてある日、自分の『音』にふれることができなくなりました。彼の目の前から『音楽』が消えていたのです。

    *

そろそろピアノレッスンも仕上げに入る。そのくらい上達した頃、サキが突然姿を消した。毎日のように、我が家に来ていた女子高生はいきなり俺の目の前からいなくなった。

「おーい、卒業式の伴奏はどうするんだ?」

(返事なし!)

「卒業生がかなしむぞ?違う涙を流しちゃうじゃないか?」

(返事なし!)

「女子高生がいくら最強でも、いきなりいなくなるとか、やっていいことと悪いことがあるだろう?」

(返事なし!)

「…俺、幻でもみてたのかな?」

(…座敷童子か!?)

最後は自分で返事をしていた。そして、そのバカさ加減にあきれた。取りあえず、彼女が事件とかに巻き込まれてないかだけ気になった。何も言わずに、いなくなるような子に見えなかったから。無事なのかどうか、ただそれを確認できればいい。そう思って慌ててスマホに手を伸ばしたが、その時になってようやく俺は気づいた。彼女の連絡先を知らないこと。俺が知っているのは彼女が女子高生だということと名前だけだった…。

そう言えば出会った頃、俺が自分の名を「ジン」と教えると、彼女は「なら、『ジン先生』って呼ばないとね!」と笑っていた。「作曲家じゃなくてお医者さんの方がしっくりくる呼び方だけど」とも。

…ジン先生…医者……?

『サキです!ノカゼ サキ。いい加減、名前を憶えてよ!』

…って、おい。まさか…。

こら、女子高生!その名前、某漫画(ドラマ)のヒロインふたりの名前を並べただけじゃないか?

思いきり偽名だったとは!

    *

あたしは桜並木の下を歩いていた。卒業式が無事終わり、慣れ親しんだ通学路を惜しみながら。

「ジン先生は元気かな?」

あの人はきっとあたしを知らない。本当の名前も。あたしが何者なのかも。

ある日、田舎町に突然現れた作曲家を人々は面白おかしく噂した。あたしは彼がこの街にいることを知った時、とても驚いた。だって、恩人が現れたから。あたしは彼の音楽のおかげで自分のスランプを抜けることができたから…。でも、そんなあたしが彼のスランプの原因を作ってしまうことになるなんて思いもよらなかった。

「ジン先生、怒ってますか?」

無意識に先生の家に向かっていた。もう彼がスランプを、それをさらにこじらせてないことも知ってる。私がいなくなって、あの家からたくさんのピアノの音があふれていたことも。もがくように、あがくように、先生が自分の『音』を探り当てて、ようやく旋律と出会ったことも…。

それを聞いたあたしは「ああ、春が咲いた」と思った。冬の厳しさに耐え、芽吹くことを忘れず、音の花が開いたんだな、と―。

「良かったね、ジン先生」

玄関の引き戸が開けられる。

「いらっしゃい」

あたしを迎えてくれたジン先生は、驚いたことにスーツ姿だった。

「来るとしたら、近くの高校の卒業式がある今日だと思ったよ。俺がお前から教えられたのは、女子高生ってことだけだったから。名前は偽名だったしな」

私が気まずい笑みを浮かべると、ジン先生はやれやれと笑った。

「いや、ただの女子高生じゃないな。小説家だったんだな」

私は居間に案内された。推薦入試ですでに大学が決まっていた私には思っていたより時間があった。だから卒業式の伴奏もひきうけたし、少し前まで毎日のように、ここに通った。

「前にタイミングの悪かった仕事があった。女子高生作家の新作が映画になる。その映画サントラ依頼だ。お前の小説の映画化だったんだな。自分のせいで俺のスランプが始まったと思ったんだろ?だから、俺のところに来たのか?」

ジン先生はため息をついた。

「別にお前のせいでスランプになったんじゃない。勝手に俺が自分を見失ってただけだ。時期が悪かった。うぬぼれるなよ、小説家!」
「…ジン先生は優しいよね」
「え?」
「優しいから、女子高生のピアノの先生もひきうけてくれたんでしょう?」

女子高生作家として早々にデビューしたものの、あたしは新作を書けずに苦しんでいた。その時、あたしを助けてくれたのがジン先生の音楽だった。彼のそれは爽やかな風のようだった。あたしの中に吹き抜け、よどみないまっさらな『言葉』を届けてくれた。そうして生まれた小説が話題となり、映画化の話が舞い込んだ。でも、何より嬉しかったのはその映画の音楽を担当してくれる予定がジン先生だったということ。

「お前がいなくなってから、仕事の整理をしたんだ。すでに断った仕事の中に、参考資料として映画の原作小説も一緒にあった。著者の写真を見て、ようやくわかったよ。映画、悪いことをしたな。本当にごめん」

あの映画は、結局他の人が音楽を担当することになったのだ。

「ピアノを教えてくれたからいいの。ちゃんと卒業式の伴奏もできたんだよ。凄いでしょう?」

突然いなくなったあたしのことをジン先生は責めなかった。もしかしたら、気づいていたのかもしれない。あたしの気持ちに。何よりあの時、あたしが自分自身の気持ちに戸惑ってしまった。だから、先生の前から逃げ出したのだ。憧れの作曲家はもう憧れの人ではなくなっていたから…。逃げ出したのは、あたしも一緒だ。

「お前は本当に最強の女子高生だったな」
「ジン先生は詐欺師だったよ。あんな爽やかな音楽をつくる人が、こんなネガティブだとは思わなかった。音楽詐欺!爽やか詐欺!今日はスーツなんか着てどうしたの?カッコよくなっちゃってさ。もっと詐欺!!」
「なんだ、それ!俺、仕事モードはいつもスーツなの。それに今日は誰かさんの卒業祝いもあったんだ。なのにその言い草、ひどくね?」

あたしたちは笑った。ジン先生もあたしも、もう大丈夫だ。だから、お願いしてみた。

「ねえ、良かったらジン先生の新曲を聞かせて。あたし、頑張って歌詞を書くから。おかしい言葉、フル動員させるよ」
「女子高生!セクハラ、やめてー!俺の音楽まで」

あたしは、コホンと咳ばらいをした。

「…言っとくけど、もう女子高生じゃないよ」

ジン先生があたしの手を取る。

「知ってる」

そして、グランドピアノに向かった。

「でも、俺の生徒だろ?さあ、はじめようか?今日のレッスン」
「…言われて初めて気がついたけど、そのセリフちょっとヤラシイね…」
「いつもお前が言ってたセリフだろ?ただ、ピアノをひくだけだけじゃないか。ヤラシイって言うやつが一番ヤラシイんだぞ、元女子高生!」

あたしはむっとした。

「…元女子高生って言い方、なんだか嬉しくなーい!」

ジン先生は笑いながらピアノの椅子に座った。

「そうか?俺は嬉しいぞ。大人の階段、のぼってるってことだ」

彼は顔を上げ、手招くと、あたしの耳元でそっと囁いた。

「早くお前が俺のとこまで来てくれると、もっと嬉しいけどな」

あたしはお腹を抱えて笑っていた。さすが偉大な作曲家!もしかしたら、そのセリフだけでたいていの女子を半泣きにできるよ!

「さあ、はじめよう!」

グランドピアノの鍵盤に、繊細な彼の指が落ちる。



ああ。

音が、咲いた。



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=影響を受けた作品のご紹介=
ここでは上の拙い物語がたぶん影響を受けたんじゃないかと思われる作品をご紹介します。 お時間や興味のある方はどうぞ~。

青春モノは参考資料読まなくていいから気楽でいいや。ちなみに作中の偽名のネタバレは村上もとか『JIN-仁-』みたいですね。 ドラマ化(大沢たかおさん主演)にもなったので、有名かもしれません。物語を書いてて一番困ったのはタイトルでした。読み方は「おとはな」でも「おとばな」でもどちらでもよし。二文字の漢字で、なんとなく携帯小説みたいな感じを狙ってみました。

★ 安藤裕子『パラレル』 ★
https://www.youtube.com/watch?v=Ky2Pl6nwY0o
この音楽を聞いて生まれた物語。最後に彼が聞かせてくれる新曲はこのイメージ。彼女がのせるだろう歌詞も。ただこのPV、ねえやんこと安藤裕子さん本人のインパクトがかなり強いものになっています(私はカッコいいと思うのですが!)ドラムもいいんですよ。さあ、耳をすまして、ぜひピアノの音を探して下さると嬉しいです。

ついでにこちらもどうぞ。女子高生が伴奏した曲。『遠い日の歌』
https://www.youtube.com/watch?v=9Q3EUaU5N4c
私が中学生の時、卒業式で歌った曲です。(高校はギリギリまで大学受験に追われてたせいか、卒業式のことはさっぱり覚えてません)確かこれだったと思う。あと合唱曲で個人的に好きなのが、コンクールで他のクラスが歌っていた『フレトイ』というもの。良ければ、こちらもどうぞ。
『フレトイ』
https://www.youtube.com/watch?v=NbIHZGTOkgA

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コメント

おお。これは声に導かれて出来上がったお話なのですかね。

最後の爽やかなどんでん返しにやられました。さすがです。

知り合ったきっかけ、お近づきになった理由、最後の一行(ひとこと)にとどめ刺されましたあ^^
けい│URL│04/14 18:15│編集
けいさんへ
いつも本当にありがとうございます!

> おお。これは声に導かれて出来上がったお話なのですかね。最後の爽やかなどんでん返しにやられました。さすがです。知り合ったきっかけ、お近づきになった理由、最後の一行(ひとこと)にとどめ刺されましたあ^^

そんなそんな。ありがとうございます。光栄&恐縮です><。

今回声もそうですが、影響を受けた音楽の力が大きかったかも。春になるとききたくなる曲なんです。春風みたいな、爽やかで疾走感のある音楽で。

確かこちらの物語は一気に書き上げたのですけど、見直すと先生があんまりカッコよくなくて、終盤書き足した部分があったような。スーツの件とか。あんまり声にのって勢いよく書いてしまうと、客観的に読めなくてダメですね…。客観的な視点というか、うまく編集できる力が身につけられるといいなあ…。

けいさんはそれがすーっごく備わってますよね!憧れです^^
rurubu1001│URL│04/14 22:08│編集
おはようございます。
お久しぶりです。

青春そのもの!と言った作品ですね。
こういう爽やかな話が書けないので、羨ましい限りです(笑)

今更ですが、リンクさせていただきました。
報告不要とのことでしたが、一応この場をお借りしてお断りさせていただきます。

それでは失礼しました。
野津征亨│URL│05/01 07:00│編集
野津征亨さんへ
コメントありがとうございます!

> お久しぶりです。青春そのもの!と言った作品ですね。こういう爽やかな話が書けないので、羨ましい限りです(笑)

お久しぶりです。そんなそんな。野津征亨さんに、そんふうに言って頂るとは恐縮&光栄すぎです。私は青春系がもともと好きなのですが、もう少し野津征亨さんのように、恋愛色がであったらいいなあと思っています。

> 今更ですが、リンクさせていただきました。報告不要とのことでしたが、一応この場をお借りしてお断りさせていただきます。それでは失礼しました。

リンクの件、ご報告ありがとうございます!私の方も良ければ野津征亨さんの「下戸につき」をリンクさせて頂けると嬉しいです^^
rurubu1001│URL│05/01 12:05│編集
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