空港ターミナルで自分の乗る飛行機を確認してから、搭乗手続きをして機内に乗り込んだ。

「本当にいいんだね?」

会社の上司の言葉が脳裏によみがえる。

「ヤケになっているんじゃなかったのか?何もかも投げ出して、一体どうする気なんだ?」

いい上司だった。厳しい面で人と接することが多いのに、どこか大事なところを忘れずにもっている人…。もしかして私と彼のことを一番気にしていたのはこの人なのかもしれない。私と彼をひきあわせてしまったのはこの人だったから。でも、そんな優しい心遣いも今はいい迷惑だった。

「わかりません。これからゆっくりと考えていくつもりです」

機内はすでに多くの人でごったがえしていた。
私は自分の席を見つけると、静かにそこに座った。先に座っていた隣の男がこちらを向いた。肩まである、少しボサボサの茶色の髪。無精ひげ。サングラスをかけているから、表情はよくわからなかった。男はまるで興味がなかったように、何事もなかったように、また自分の世界へかえっていく。なぜか私はその男に少し好感が持てた。私も目を閉じ、ぼんやりと自分のこれからのことを考えた。

「本当にどうする気なの?」

施設でお世話になった先生の言葉を思い出す。あわない間に彼女の顔には深いしわが刻まれていた。なんだかそれを見ていると、とてもやるせなくなった。

「わかりません。本当にまだ何も決めてないんです」

それは嘘だった。本当は彼ともう会えなくなったことを知った時に、散々泣いた時に考えをまとめていた。

「そう、わかったわ。とにかく必ず何かあった時はすぐにここにきてちょうだい。約束よ。あなたには帰る場所があるんだから」

…約束…?

そう言えば、先生の口癖だったね。何度も私にそう言ってくれた。でも、私はそれを一度も守ったことがなかったと思う。私は頷くと、その施設を後にした。

「まもなく、とう飛行機は離陸します。シートベルトを…」

機内アナウンスが流れ、どことなく機内が慌ただしくなる。私は自分のシートベルトを確認した。自分の生まれ育った国とこうもあっさり離れることになるなんて、一体誰が予想しただろう?

『わからないぞ。世の中、想像を絶することなんていっぱいあるんだから』

そう言ってた彼が一番私の想像を絶していた。真新しい記憶の残像を呪ってやる。本当にあまりに急すぎて、心の準備もできなかったじゃない。

もう泣かないと決めていたはずなのに…。私の目にはあふれるばかりの涙がたまっていた。隣りの人に気付かれないように顔を伏せたことで勢いづいて重力に逆らうこともできず、それは簡単に零れ落ちた。

『お前の悪いところは一回、啖呵を切ると止まらないとこだ』

「どうしたの?」

隣りのサングラスをかけた男が声をかけてきた。

私は首を横に振った。あなたは自分の世界にいてくれればいいの。ほっといてよ。
ただ首を横に振り続ける私に男は困ったようだった。すると、いきなり腕を伸ばし、その手で私の顔を包むようにして自分の方に向けさせた。私はわけがわからず、瞬時に泣くのを忘れて男を見た。彼は今サングラスを外していた。透き通ったブルーの瞳が私を見つめ返していた。

…異国の人…?

そしてふわりと笑うと、私に自分のサングラスをかける。視界が急に黒く染まった。私はしばらく彼をそのまま見つめていたけど、彼がまた黙って窓の方に向き直るのを見て、そうかと思った。きっとハンカチを渡す代わりに、サングラスを貸してくれたのだ。目のまわりを隠してくれるサングラスで泣き顔をが見られないように…。

初対面の人でもハンカチなんて渡されたら、たぶん私は相手に投げ返していたかもしれない。同情なんてされたくないから。隣りにいる男にそれがわかっていたのだろうか。いや、きっとハンカチがなかったのだろう。私は思わず、笑っていた。そして、一言お礼をいった。

「…ありがとう…」

男は横目で私をみやると口元で微笑んだ。その顔にどこか見覚えがあった。でも、そういうときに限って思い出せない。

「…あのどこかでお会いしました?」

せっかちな私はたずねていた。男は目を見開いてから、意味ありげにこうつぶやいた。

「…もしかしたら会ったのかもしれない。僕も君もそれとなく、どこかで…」

私は彼に冷ややかな目を向けていた。

「からかわないで」

男は笑った。

「突然思わせぶりなことを君が言うからだ」
「思わせぶりって」
「日本の女性は大胆なのかな」
「違います」

どうだか、と言うように男はさらに声を上げて笑った。そして、私を穏やかに制した。

「まあ、落ち着けよ。もう泣き止んだ?サングラスを返してもらうけど、いい?」
「どうぞ」

私はぶすっとして、わざっとそっけなく、サングラスを相手に返した。男は気を損ねるふうもなく受け取り、自分の目元にそれを持っていく。サングラスは元々あった場所におさまった感じだった。

「…どうして泣いていたの?」

男がそう私にたずねてきて、私はまた冷たくあしらった。

「関係ないでしょう!」

まわりの人間に同情されるのが私は心底嫌いだったから。

「関係あるよ。どこかで会ったかもしれないから」

私は言い返すのも嫌になり、男から視線をそらす。

「質問を変えよう。君はどうして祖国を去るの?」

私は男を見た。この人は言い方を変えただけで、同じことを聞いている。

「別に答えたくないから、答えなくてもいいよ」

彼はついにあきらめ、また自分の世界にかえろうとする。私は思わず答えていた。

「…私は行きたいの」
「え?」
「見に行きたいの」
「何を?」
「この世の果て」

私は男を真っ直ぐ見て、そう言った。男は一瞬、虚を突かれたような変な間(ま)をあけてから、

「いいな」

と優しく呟いた。バカにされると思っていたから私は驚いた。

「それは、いい夢だよ」
「夢じゃないわ」
「わかってる。でも、あれだよな」
「つまり、君は“最後”を見に行きたいわけだよな」
「“最後”?」
「人の最後だよ」

私は何も言えなくなってしまった。この世の果てってそういうものを意味していたのだろうか?あの彼はそのことを知っていたのだろうか?…そうだ。たぶん知っていたのだろう。だから、ある日、突然そこに行ってしまったんだ。

「…私は…」
「え?」

何かを言いかけたところで、飛行機が動きだし、加速しているのがわかった。私をのせて生まれた国を離れ、空に飛びこむ。

― そうだ。もうあとにはひけない。

「そう。私は、この世の果てに行くの」

あくまでそう言い切る私に、男は

「君なら行けるよ」

と、微笑んだ。

「そうかしら?」
「たぶんね」

嘘でもそう言ってくれる男の言葉が胸にしみた。

「あなたは?」
「僕?…僕はそうだな」

男は一息ついて、

「僕も君と同じそこを求めていた人間の一人なのかもしれない。けど…」
「…けど?」
「けど、そこに行こうとは思わなかった」
「どうして?」
「そこには行ける人間と、行けない人間がいるんだよ。僕は行ける人間じゃなかった。きっと選ばれた人間だけが、そこに行けるんだよ」
「選ばれた人間?」

男は頷いてから、私を指さし、

「選ばれた人間と…」

そして、自分を指さしてこう言った。

「選ばれない人間」

「笑っていいんだよ。求めていたものが手に入れられない人間のなれの果てがここにいる。なれの果てなんて、ある意味、この世の果てなのかな?」

男は自嘲し、あきらめたように、また自分の世界にかえろうとする。私は無意識に男をひきとめていた。

「…ちがうわ。忘れられてただけなのよ」

膝の上にのせていた自分のこぶしがあつい。それを感じながら、男に向き直り、その黒のレンズの奥の瞳に訴えた。

「神様が選び忘れただけなのよ。だから、忘れられた人間は自分で気づくの。自分でそこに行こうとする…」

男はしばらく黙って私を見つめると、口元で微笑んだ。それに安心している私がいた。そして、ようやくあることに気付いた。

「そう言えば、あなたは日本語が上手ね」
「僕の母が日本人なんだ。父がイギリス人でね。ここに来たのも母に会いに来ようと思ったからだ」
「一緒に暮らしてはいないの?」
「ちょっとわけありでね。結局は会えなかったけど…」
「え?」
「…もうこの世の人じゃなかったよ」

さらりと言う男に、私は何も言えなくなってしまった。

「でも、日本に来てよかったよ。母の住んでいた国にこれただけでもよかったと思う。そこの空気にふれただけでもさ」
「…そんなに素晴らしい国ではないけど…」
「いいとこだよ。平和だし、歴史がある。それに…」
「それに…」
「変わった子もいるしね」

私は彼を軽くにらんだけど、おかしくなってすぐ笑ってしまった。確かに私は変だ。

「やっと笑ってくれたね」
「え?」
「笑ってた方がいい。笑ってる方が似合うよ。そっちの方が…」

『 笑ってた方がいい。そっちの方が俺は…』

「僕は好きだよ」

その言葉の余韻にひたる。懐かしい感覚に胸が痛んだ。私はまだはっきりと彼の言葉一つ一つを憶えているのが苦しかった。

「あなた、仕事は?」

話題をかえて、男に問うことにした。

「うーん、旅人かな?」
「仕事はしてないの?」
「…休業中なんだ。それではいけない?」
「…いいえ、私も同じだもの」
「僕らは似た者同士だ」

男が口元だけで親しげに微笑む。その笑い方は確かに見覚えのあるような気がした。本当にあったことはないのだろうか?ふと男の横にある窓に視線を移す。気が付けば、雲の上を飛行機がゆうゆうと飛んでいた。今、自分が祖国を去り、得体のしれない、他人にから見れば狂っているとしか思えない旅をしているのかと思うと、どこか苦笑してしまう。

私は人の期待を裏切るのが好きだった。

人の予想を覆すのがたまらなく好きだったから、決していい子では無かったはずだ。それなのに他人が自分と同じことをしでかした時には、たまらなく機嫌を損ねる。腹立たしくなる。そんな可愛くない性格だ。

そんな私にあの彼はいつも笑っていたのだ。私の言動すべてゆるすように。優しい目をして笑い続けてくれた。いつの間にか彼の前で私はそんなことをしなくなっていた。それまでのことが突然バカらしくなったのだ。そんな彼をいつしか好きになるのは時間の問題だった。人の信じたことのなかった私がはじめて人を信じてみようと思った。それだけで、自分の中の何かが満たされていくのを感じた。

私は他人がうらやむような幸せなんかいらなかった。そんなものより、自分の中のささやかな幸せを育んでいきたったし、そのつもりだった。だけど、最後の最後で彼が私の期待を裏切るとは本当に思いもよらなかった。

「どうしたの?」

男の声がして現実に戻る。そうだ。これが現実なのだ。終わったことをいつまでも嘆いても仕方がない。

「何でもないの」

私は軽く微笑んで、そう言った。

「僕は、今のあいだ考えていたんだけど」
「え?」
「君の旅に便乗してもいい?果て探しの旅に僕も参加してみたくなったんだ」
「…でも…」

男の言葉に驚きを隠せなかった。

「僕にも長い旅が必要な気がしたんだ。ダメかな?」

私は戸惑いながら、口を開けた。

「…これは無謀な旅なのよ」
「わかってるよ」
「いつ終わるかなんてわからないし…」
「途中で挫折したら、リタイヤするよ。たぶんしないだろうけど」
「…それに…」

きっと私はこの旅の最後で…。
いくら果て探しの旅とはいっても、こたえは最初から出ている。ただ、知らないふりをしているだけ。この世に果てなどないのだろう。私はそれを自らきちんと知りに行くことで、絶望することで、この世界から消えようと思っていた…。そのための理由が、ただ欲しかっただけなのだ。

「…見届けるよ…」

この男は気づいているのだろう。

「人の最後には見届ける人間が必要だと思う。いっとくけど、これは同情じゃないよ。どっちかというと、興味だ」

男は再びサングラスを外して私を見つめた。そのブルーの瞳にはあきらめの色が見てとれた。その時、はじめてこの人も私と同じ人間だということを知った。

…この世に生きる価値をなくした人間。死にすがりつくことしかできない弱い人間…。

「…あなたの名前は?…」

私の問いに男は何度口にしたかわからない、この世の名を教えてくれた。

「…ジョン。君は…?」

私も自分の名を教える。

「ヨウコ」
「ヨウコ、僕も君と旅をしていい?」

私は頷いた。それから私たちは笑みを交わし、どちらからともなく手を繋いだ。

私は静かに目を閉じた。
男の手のぬくもりに、私は彼がいなくなってからようやく安心して眠ることができた。



=====================================

=影響を受けた作品のご紹介=
ここでは上の拙い物語がたぶん影響を受けたんじゃないかと思われる作品をご紹介します。 お時間や興味のある方はどうぞ~。

★ LOVE PSYCHEDELICO 『Your Song 』 ★
http://nicotter.net/watch/sm13647525
10代の時に書いた物語。どんだけ大人に夢を見ていたんだろう、学生時代の私は。音楽の大人っぽい雰囲気でこうなっちゃたのかな。(彼らの曲で一番好きなのは『My last fight』いつかそれでも書けるといいなあ)…それにしても、オチはなんでこのふたりに…?謎すぎる。フィクションなので、微妙に名前をヨーコからヨウコに変えました。

早速その物語が生まれました。良ければ。
【第145夜】 手紙(『my last fight』シリーズ1/ミステリー )
http://short2story.blog.fc2.com/blog-entry-145.html

LOVE PSYCHEDELICO『my last fight』
http://nicoviewer.net/nm5935553
(吹き出し押すとコメントが消えます)


□ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □  ■ □ ■ □

以下のランキングに参加中です。

■ NEWVEL ランキング
http://www.newvel.jp/nt/nt.cgi?links=2014-03-1-35262

■ アルファポリス ランキング


■ 人気ブログ ランキング

人気ブログランキングへ

■ にほんブログ村 ランキング
にほんブログ村 小説ブログへ
にほんブログ村

スポンサーサイト