「お目覚めですか?」
気がつくと、目の前に見知らぬ男がいた。
「…ここは?」
「ここは遠い夜の海。そして、あなたは私のボートの中にいます」
横たわっていた体を起こし、辺りを見渡すと、黒い海がどこまでも果てしなく広がっていた。
…なんなのだろう、ここは…。
一体どこまでが海なのか空なのか、まるでわからない。全てが濃い闇に覆われているせいで、境界が見定められないのだ。私は恐怖に怯え、自分の腕で自分の体を抱きしめた。このまま自分も、このおぞましい闇に染まっていく…そんな気がしたからだ。すると、男は優しく微笑んで、こう言った。
「何も恐れることはありませんよ。目に見えるものばかりに気を取られなければいいんです。ここは波も穏やかで、汐の匂いも優しい」
確かにボートに打ち寄せる波は弱く、汐の匂いもそこまできつくなかった。少し落ち着くと思考がゆっくりと動き出す。…そうだ。どうして私はここにいるのだろう…。
「どうやら乗っていた舟が難破したようですね。あなたは筏につかまって、夜の海を一人で漂っていましたよ」
…あぁ、そうだったのかもしれない。何かの衝撃で舟が突然壊れ、私は海に投げ出されたのだ。
「夜が明けるまでの辛抱です。夜が明ければ、大きな舟か陸が見つかるでしょう。それまで狭いところですが、ゆっくりなさってください」
足元に灯っていた微かなランプの光りを頼りに、私は男の顔を見つめた。
彫りの深い美しい顔が私を見つめ返していた。
頬は疲れのためか少しこけていたが、秀でた額には若さの光りがあった。鼻筋はすっと伸びて高く、目元には深い陰影が刻まれている。そして、その中で何よりもどこか遠くを見つめるまなざしが私の心を強く打った。その目は昔どこかで見たことがあるような気がしたのだ。
首から下はくすんだ白いローブのようなもので身を包んでいる。そこから覗く手の仕草や振る舞いには品の良さがあった。外見やそれらが男を年かさに見せてしまってはいるが、本当の年は私とそんなに変わらないのかもしれない。
「あなたは、ここで何をしているの?」
いくら何でもここに一人でいるのは、おかしかった。男は表情をさらに和らげた。
「私は、夜空に星を送っているんですよ」
私がうまく理解できないでいると、男はそばにあった小さな袋を取り出して、その口を縛っていた縄をといた。そして、そこから手のひらに納まるくらいの石を取り出したのだ。
「それが、星…?」
私は思わず笑ってしまった。こんなところで変な冗談を飛ばすなんて。どう見たって、ただの石ころだった。おかげで緊張の糸がほどけていったが。
すると男は両手で石を包み込み、何かを唱える。しばらくすると、そこからゆっくりと白い光りがこぼれた。私が驚いて目を見開くと、男は優しく声を立てて笑い、その手を空に大切に掲げた。光りは夜空に向かってまっすぐ上り、やがて一つの美しい星になった。
「私はこうやって、夜空に星を送っているんですよ」
「…素敵ね」
あふれ出た言葉は、感嘆の他の何ものでもなかった。その言葉に男は笑った。少年のような無邪気な笑顔で。
「私も星を送れるかしら?」
男は頷いて、私の手のひらにそっと石をのせてくれた。その時なんとなくこの石は死んでいるなと思った。男は私が石を包み込むのを待つと、軽く自分の手を添えて、また何かを唱える。やがて、あたたかな感触とともに、あの白い光りが現れた。私は空にそれを掲げ、星となる光りを見送った。
私は微笑んだ。男も愛しそうにその星を眺め、ゆっくりと口を開いた。
「きっと、あの星の光りを頼りに誰かが生きるでしょう」
私は男を見た。
「生きることにもがく人は、星を眺めます。そして、その光りを頼りに思う…」
男が見つめているのがわかったが、私は気づかないふりをした。
「生きたい、と」
男は、はっきりとそう告げた。私は、笑った。淋しい声の響きが汐風とともに、運ばれていく。
「…何もかもお見通しなのね」
彼は、ずっと私を待っていたのだろう。
「あなたは必死に、筏にしがみついていましたよ」
私は納得して自ら海に飛び込んだのだ。そのはずなのに…。
最期に感じたのは決して楽になれる安堵ではなく、哀しい後悔だけだった。
「私は、生きたかったのかもしれない…」
でも、自分で自分が良くわからないのだ。今は生きたいと思っていても、今度はただ死にたいと本当は思っているだけなのかもしれなかった…。
男は空を指差すと、静かに語り始めた。
「あの星は、ただの星ではないんですよ。美しい物語をのせて輝いている」
「物語?」
「そう。あなたの物語です」
「…私の?」
「そうですよ。あのままでも充分美しい。でも…」
私は男を見つめた。その遠い目には今、優しい光りが灯っている。
「見せて下さい、あなたの物語の続きを。その道標となるように、私は何度もあなたのもとへ星を送るでしょう」
男が美しい手を伸ばし、私の頭を撫でた。尊いその手のひらは大きくてあたたかで、まるで心が洗われていく。涙がこぼれた。
生きられると思った。どこまでかはわからない。どこへいけるかもわからない。
全てはこの夜の海と同じなのかもしれない。
でも、私は星を知っている。
それを送り届ける男の存在も知っているのだ。きっと生きる糧になるだろう。切り札になるだろう。そして、いつか素敵な物語となって男のもとに現れてみせよう。
「約束するわ」
私の言葉に、男は嬉しそうに笑った。それは今までに見たことのない忘れられない笑顔だった。
目を閉じて、私は男の唱えていたあの言葉を静かに待った。
『幾千の星が夜空に美しい彩りをそえているかのように―。
今宵はこの私が愛すべき物語によって、新たな彩りをそえてごらんにいれましょう 』
□ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □
=影響を受けた作品のご紹介=
ここでは上の拙い物語がたぶん影響を受けたんじゃないかと思われる作品をご紹介します。 お時間や興味のある方はどうぞ~。
★ 夏目漱石「夢十夜 第七夜」× supercar「PLANET」 ★
「夢十夜」の第七夜を読んだ夜でしょうか。私自身も夢を見ました。それが今回の物語です。覚えているうちに書き出して保管してたみたい。今思うと、第七夜を読んで主人公と一緒に沈んだ気分になっていたので、きっと救いに来てくれたのだと思います。私の忘れられない夢になりました。
① 夏目漱石「夢十夜 第七夜」
http://www.amazon.co.jp/%E6%96%87%E9%B3%A5%E3%83%BB%E5%A4%A2%E5%8D%81%E5%A4%9C-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%A4%8F%E7%9B%AE-%E6%BC%B1%E7%9F%B3/dp/4101010188/ref=sr_1_3?s=books&ie=UTF8&qid=1374152070&sr=1-3&keywords=%E5%A4%8F%E7%9B%AE%E6%BC%B1%E7%9F%B3%E3%80%80%E5%A4%A2%E5%8D%81%E5%A4%9C
夏目漱石では「夢十夜」が一番好き。高校の教科書で長編の「こころ」を中途半端にやるより絶対短編のこっちをやるべきだ!ってなんかあの頃強く思っていたような…。「こんな夢を見た」で始まるそれぞれ雰囲気の違った10種類の短編。特に一、三、七夜が好きで、一夜で恋に落ち、三夜で愕然とし、七夜で一緒に沈みました…。お札になる人はやっぱり偉大なんですね。
② supercar「PLANET」
https://www.youtube.com/watch?v=DzKi3BMCMAc
歌詞は物語とあってないんですが、この曲をよく聞いてました。私が彼らで一番好きな曲です。メロディがとてもきれいで、これを10代でつくるとかすごいなあって。「PLANET」って調べてみたら、星のほかに「彷徨い歩く者」とか「放浪者」って意味もあることを知り、当時とても感動しました。
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気がつくと、目の前に見知らぬ男がいた。
「…ここは?」
「ここは遠い夜の海。そして、あなたは私のボートの中にいます」
横たわっていた体を起こし、辺りを見渡すと、黒い海がどこまでも果てしなく広がっていた。
…なんなのだろう、ここは…。
一体どこまでが海なのか空なのか、まるでわからない。全てが濃い闇に覆われているせいで、境界が見定められないのだ。私は恐怖に怯え、自分の腕で自分の体を抱きしめた。このまま自分も、このおぞましい闇に染まっていく…そんな気がしたからだ。すると、男は優しく微笑んで、こう言った。
「何も恐れることはありませんよ。目に見えるものばかりに気を取られなければいいんです。ここは波も穏やかで、汐の匂いも優しい」
確かにボートに打ち寄せる波は弱く、汐の匂いもそこまできつくなかった。少し落ち着くと思考がゆっくりと動き出す。…そうだ。どうして私はここにいるのだろう…。
「どうやら乗っていた舟が難破したようですね。あなたは筏につかまって、夜の海を一人で漂っていましたよ」
…あぁ、そうだったのかもしれない。何かの衝撃で舟が突然壊れ、私は海に投げ出されたのだ。
「夜が明けるまでの辛抱です。夜が明ければ、大きな舟か陸が見つかるでしょう。それまで狭いところですが、ゆっくりなさってください」
足元に灯っていた微かなランプの光りを頼りに、私は男の顔を見つめた。
彫りの深い美しい顔が私を見つめ返していた。
頬は疲れのためか少しこけていたが、秀でた額には若さの光りがあった。鼻筋はすっと伸びて高く、目元には深い陰影が刻まれている。そして、その中で何よりもどこか遠くを見つめるまなざしが私の心を強く打った。その目は昔どこかで見たことがあるような気がしたのだ。
首から下はくすんだ白いローブのようなもので身を包んでいる。そこから覗く手の仕草や振る舞いには品の良さがあった。外見やそれらが男を年かさに見せてしまってはいるが、本当の年は私とそんなに変わらないのかもしれない。
「あなたは、ここで何をしているの?」
いくら何でもここに一人でいるのは、おかしかった。男は表情をさらに和らげた。
「私は、夜空に星を送っているんですよ」
私がうまく理解できないでいると、男はそばにあった小さな袋を取り出して、その口を縛っていた縄をといた。そして、そこから手のひらに納まるくらいの石を取り出したのだ。
「それが、星…?」
私は思わず笑ってしまった。こんなところで変な冗談を飛ばすなんて。どう見たって、ただの石ころだった。おかげで緊張の糸がほどけていったが。
すると男は両手で石を包み込み、何かを唱える。しばらくすると、そこからゆっくりと白い光りがこぼれた。私が驚いて目を見開くと、男は優しく声を立てて笑い、その手を空に大切に掲げた。光りは夜空に向かってまっすぐ上り、やがて一つの美しい星になった。
「私はこうやって、夜空に星を送っているんですよ」
「…素敵ね」
あふれ出た言葉は、感嘆の他の何ものでもなかった。その言葉に男は笑った。少年のような無邪気な笑顔で。
「私も星を送れるかしら?」
男は頷いて、私の手のひらにそっと石をのせてくれた。その時なんとなくこの石は死んでいるなと思った。男は私が石を包み込むのを待つと、軽く自分の手を添えて、また何かを唱える。やがて、あたたかな感触とともに、あの白い光りが現れた。私は空にそれを掲げ、星となる光りを見送った。
私は微笑んだ。男も愛しそうにその星を眺め、ゆっくりと口を開いた。
「きっと、あの星の光りを頼りに誰かが生きるでしょう」
私は男を見た。
「生きることにもがく人は、星を眺めます。そして、その光りを頼りに思う…」
男が見つめているのがわかったが、私は気づかないふりをした。
「生きたい、と」
男は、はっきりとそう告げた。私は、笑った。淋しい声の響きが汐風とともに、運ばれていく。
「…何もかもお見通しなのね」
彼は、ずっと私を待っていたのだろう。
「あなたは必死に、筏にしがみついていましたよ」
私は納得して自ら海に飛び込んだのだ。そのはずなのに…。
最期に感じたのは決して楽になれる安堵ではなく、哀しい後悔だけだった。
「私は、生きたかったのかもしれない…」
でも、自分で自分が良くわからないのだ。今は生きたいと思っていても、今度はただ死にたいと本当は思っているだけなのかもしれなかった…。
男は空を指差すと、静かに語り始めた。
「あの星は、ただの星ではないんですよ。美しい物語をのせて輝いている」
「物語?」
「そう。あなたの物語です」
「…私の?」
「そうですよ。あのままでも充分美しい。でも…」
私は男を見つめた。その遠い目には今、優しい光りが灯っている。
「見せて下さい、あなたの物語の続きを。その道標となるように、私は何度もあなたのもとへ星を送るでしょう」
男が美しい手を伸ばし、私の頭を撫でた。尊いその手のひらは大きくてあたたかで、まるで心が洗われていく。涙がこぼれた。
生きられると思った。どこまでかはわからない。どこへいけるかもわからない。
全てはこの夜の海と同じなのかもしれない。
でも、私は星を知っている。
それを送り届ける男の存在も知っているのだ。きっと生きる糧になるだろう。切り札になるだろう。そして、いつか素敵な物語となって男のもとに現れてみせよう。
「約束するわ」
私の言葉に、男は嬉しそうに笑った。それは今までに見たことのない忘れられない笑顔だった。
目を閉じて、私は男の唱えていたあの言葉を静かに待った。
『幾千の星が夜空に美しい彩りをそえているかのように―。
今宵はこの私が愛すべき物語によって、新たな彩りをそえてごらんにいれましょう 』
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=影響を受けた作品のご紹介=
ここでは上の拙い物語がたぶん影響を受けたんじゃないかと思われる作品をご紹介します。 お時間や興味のある方はどうぞ~。
★ 夏目漱石「夢十夜 第七夜」× supercar「PLANET」 ★
「夢十夜」の第七夜を読んだ夜でしょうか。私自身も夢を見ました。それが今回の物語です。覚えているうちに書き出して保管してたみたい。今思うと、第七夜を読んで主人公と一緒に沈んだ気分になっていたので、きっと救いに来てくれたのだと思います。私の忘れられない夢になりました。
① 夏目漱石「夢十夜 第七夜」
http://www.amazon.co.jp/%E6%96%87%E9%B3%A5%E3%83%BB%E5%A4%A2%E5%8D%81%E5%A4%9C-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%A4%8F%E7%9B%AE-%E6%BC%B1%E7%9F%B3/dp/4101010188/ref=sr_1_3?s=books&ie=UTF8&qid=1374152070&sr=1-3&keywords=%E5%A4%8F%E7%9B%AE%E6%BC%B1%E7%9F%B3%E3%80%80%E5%A4%A2%E5%8D%81%E5%A4%9C
夏目漱石では「夢十夜」が一番好き。高校の教科書で長編の「こころ」を中途半端にやるより絶対短編のこっちをやるべきだ!ってなんかあの頃強く思っていたような…。「こんな夢を見た」で始まるそれぞれ雰囲気の違った10種類の短編。特に一、三、七夜が好きで、一夜で恋に落ち、三夜で愕然とし、七夜で一緒に沈みました…。お札になる人はやっぱり偉大なんですね。
② supercar「PLANET」
https://www.youtube.com/watch?v=DzKi3BMCMAc
歌詞は物語とあってないんですが、この曲をよく聞いてました。私が彼らで一番好きな曲です。メロディがとてもきれいで、これを10代でつくるとかすごいなあって。「PLANET」って調べてみたら、星のほかに「彷徨い歩く者」とか「放浪者」って意味もあることを知り、当時とても感動しました。
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